西成区北西部では、人権のまちづくり運動の一環として、古くから「皆保育(かいほいく/みなほいく)」を実現する活動が行われてきました。皆保育は、希望するすべの子どもたちが地域の保育所に通うことができるシステムで、下は0歳児から上は5歳児(就学前)まで通所できます。そのためには適正な数の保育所が必要で、子育て中の保護者が自ら立ち上がって地域のニーズ調査をしたり、行政への要望活動等を行い、多い時には北西部で7つの公立保育所が運営されていました(現在は3ヶ所)。
当時のルールでは、保育所に子どもを通所させるためには保護者の就労が条件で、行政的にはいわゆる「保育に欠ける」子どもが保育所への入所(措置)対象でした。これに対して皆保育活動では、保育所を保育に欠ける子どもの福祉施設ではなく、小学校就学前の教育の場として位置づけるよう要望が続けられました。出産後もフルタイムで働く保護者が多かったので、幼稚園への通所は現実的ではなく、地域の保育所において保育も教育も受けられる仕組みを実現しようという画期的なものでした。
そんな中、国は新たに「こども誰でも通園制度」を始めることにしたようです。子どもたちの育ちを支え、子育ての負担を軽減する役割をもたせる制度で、すでに30の自治体でモデル事業が行われています。保護者の就労状況に関係なく、保育所や幼稚園に通っていない生後6ヶ月~2歳の子どもたちを「未就園児」(約146万人)と位置付け、市町村が指定した保育所、認定こども園、幼稚園、地域子育て支援拠点に通所させることを可能とする制度です。これまで北西部でとりくまれてきた皆保育活動に公的制度がやっと追いついてきたという感じです。そして、新たな通園制度には違う政策的意図もあるようです。この間、待機児童の解消を目的に保育所が急増し、待機児童も減っています。そこに少子化が追い打ちをかけ、保育所が定員割れを引き起こし、経営が不安定になっているのです。そこで新たな通園制度を本格スタートさせ、定員充足への足掛かりにしていこうという目論見があるようです。
教育は幼稚園、保育に欠ける子は保育所が当たり前だった時代。子どもは社会全体で育てる、保護者の状況に関わりなくすべての子どもたちが通所できる、保育と教育を統合する。これらが皆保育の基本精神でした。だから北西部では幼稚園に通うに子どもは相対的に少なかったです。確かに保護者の役割はありますが、その前に社会の責任と役割を重視しようという考え方です。集団保育を基調に、病後児保育や障害児保育の推進、地域交流も積極的に取り組まれ、子どもの育ちを地域全体で支える努力が積み重ねられました。面白いのは保育人材の確保にむけた「保育労働者をめざす会」の活動です。保育所に通っていた子どもたちが大人になり、めざす会に参加し、今度は自ら保育士となって地域の子どもたちを支えるのです。若者の就労支援という面からもすばらしい取り組みだなぁとつくづく感じます。