今でこそ、施設でのお看取りは当たり前に行われるようになりましたが、
やまゆりが開設された2014年頃は、
老衰で口から食べられなくなった高齢者の多くは、まだまだ病院へ送られておりました。
90歳を超えたお年寄りが、意にそわない 胃ろう等の管につながれて、
病院で亡くなるケースが多かったんです。
「自然死」や「平穏死」といった言葉を聞くようになったころですね。
初めのころは、
「病院で看られなくなった人を、受け入れるんですか?! @@;) 」
「口から食べられなくなったから、早く点滴してください!! ><; 」
私をふくめ、職員たちは、こんな感じだったと思います。
しかし、入院されていたあるご利用者を、
ご家族様が・・・
「病院では、治療しても効果がないと言われています。口からも、もう食べられません。
でも、最期はやまゆりで過ごさせたいんです。経管栄養を抜いて、退院したら、
数日の命と言われています」
と言って、やまゆりでの看取りを希望されました。
やまゆりはその方を受け入れ、その方はやまゆりで、自然に、枯れるように、
馴染みの職員と、ご家族に見守られ、亡くなっていきました!!
その時から、老衰で自然にお亡くなりになるご利用者を、わたしたちも自然に受け入れられるように
なっていった、と思います。3年、4年と施設でともに暮らしてきたご利用者を、
少し口から食べられなくなってきたからと、病院へ送り、そのまま帰ってくることもなく、
施設からいなくなってしまう別れを繰り返し、寂しい思いを抱いていた介護職は確かにいたのだと思います。
なので、施設での看取りは、人の死に立ち会ったことのない職員には、恐れでもあったけれど、
望んでいたことでもあったのです。
看取りは、昔の日本で死が当たり前に隣にあったのと同じように、当たり前の光景として、
やまゆりに根づいていきました。