福祉でまちづくりを進める
社会福祉法人ヒューマンライツ福祉協会

損得勘定で共生社会は築けません

 

 ずっと前から気になっていて、最近も“?”となったことがあります。行政やマスコミ報道なんかによくみられる事例で、いま注目の地域共生社会づくりに関するとても大切な視座についてです。

 古くは車いす障害者の分野でよく言われていました。私たちの社会は車いす障害者を忌避したり、差別したりしてはいけません。いま日本では、交通戦争がはびこり、いつ誰が自動車事故にあい車いす障害者になるかもしれないからです。もし自分がそうなって、社会で孤立したらつらいでしょ。だから日頃から共に生きる社会づくりを心がけましょう、というもの。街で視覚障害者を見かけたら、お手伝いが必要かどうかの声かけをするなど、やさしく触れ合える社会をつくりましょう。なぜなら、いま日本では、糖尿病の増加がすさまじく、病気が悪化して網膜症という合併症にかかり、失明する人や視覚に障害が残る人が増えている。無関係だと思っていた視覚障害は、いつ自分の身に降りかかるかもしれない深刻な問題なので、もっと視覚障害者にやさしいまちづくりをみんなですすめましょう、と。なんだかなぁ‥、結局、損得勘定か、利己的だなぁと、そのたびに強い違和感や嫌悪感を覚えていました。

 これらのことを思い出させたのは2019年の6月。政府が「予防と共生」をテーマとする新たな認知症施策推進大綱を発表した時でした。テーマの相反性や直前に見送られたものの予防に数値目標が設定されたことに疑義を感じたからかもしれません。この時のマスコミ報道は、日本もこれから高齢社会が進み、認知症の人が増える。認知症はいつ誰の身に降りかかるかもしれないし、家族が認知症になるかもしれないので、これを自分のことと思って、地域共生社会づくりに参加しよう、と社説に書く。何とか関心を引き付けようとしているのかもしれませんが、このセンスのなさというか、感覚のズレというか、地域共生の本質から離れた軽薄さが気になったのです。「明日は我が身」とか「お互い様」など、時には平易な表現で、人の損得勘定というか「損得感情」をあおりながら、世論をリードする。

 元来、地域共生社会づくりを進めるにあたっては、自分が障害者や認知症の人などの立場になる可能性があるかないかは、まったくどうでもいいことです。逆に、その可能性を文脈に絡めること自体、差別扇動にあたる気がします。黒人差別や女性差別の例を考えれば一目瞭然です。白人や男性は、自分が黒人や女性になる可能性があるから差別撤廃に取り組むのではありません。黒人や女性であることをもって忌避・排除する社会が理不尽であり、社会悪だからその克服にむけて努力するのです。オリンピックや万博と、これから日本は国際イベントが続きます。国際人権水準からすると、損得勘定ベースの利己的な地域共生社会づくりでは、すぐに化けの皮がはがれてしまします。行政やマスコミは、自分たちのミスリードに気づき、ことの本質に迫っていくべきです。手掛かりは「併存と寛容」なのでしょう。