先月、日本学術会議の社会福祉分科会が「社会的つながりが弱い人への支援のあり方について」と題する提言を公表しました。社会的つながりが弱い人の抱える問題は、個々の生き方や自己責任の問題ではなく、社会問題として捉え、解決すべきだと提言は位置づけています。すでにイギリスでは孤独担当相が設置され、この問題は国際的な広がりにもなっていますが、日本では、生活困窮者自立支援法改正で、経済困窮に加え社会的孤立も支援の対象となるなど、ようやくフォーカスされ始めた段階です。
提言では、全国に1万人のCSWを配置することや市町村が関連予算を柔軟に再編成できるようにすることなどが提案されています。また、市町村・福祉事務所・児相・保健所などの緊急一時支援機能を一元化させた「福祉署」を新設し、消防署のように福祉専門職が危機介入できる組織体制づくりが必要だと提案しています。私が最も関心をもったのは、地域共生社会づくりに対するアンチテーゼです。国は、住民が地域の困り事を「我が事」として捉え、自治体等と連携しながら「丸ごと」解決していくような互助中心の地域共生社会を創ろうとしています。しかし提言では、社会的つながりが弱い人の問題は、地域住民を主体とした支え合いの構築だけでは解決できないと断言し、疑問符を付けたのです。
そもそも地域は、同質性をその本質的性格として内包し、そこを基盤に互助が行われているので、社会的つながりが弱い人といったいわば異質とみなされる問題を包摂する力は備わっていないという指摘です。なるほど、地域では、困ったときはお互いさまといった善良な住民ばかりではありません。古くはハンセン病の人の隔離運動や障害者への強制不妊手術黙認の歴史。今でも施設コンフリクトは後を絶たず、生活保護バッシング、ホームレス襲撃、外国人排斥のヘイトスピーチ、SNS等におけるいわゆるネット私刑の氾濫など、地域社会には、あげればきりがないくらい忌避と排除、差別と偏見にまみれたもう一つの顔があります。津久井やまゆり園の障害者殺傷事件が氷山の一角とされる所以です。同質性に支えられた地域で、その対極にある多様性を尊重し包摂する社会を創るためには相応の戦略と粘り強い努力、力強い団結が必要で、改めて提言の指摘を真摯に受け止める必要があると感じています。
その意味で、障害者差別禁止法の合理的配慮の対象を障害者以外に広げるという提言提案はイイネ!です。当法人理念と通底する地域共生社会を実現するための道のりは困難を極めますが、決してあきらめるわけにはいきません。戦略的には、特に認知症、発達障害、うつ病の人たちをコアにした福祉でまちづくり実践の積み重ねが、やがて忌避や排除を減らし、多様性を受け入れる寛容な社会づくりへの突破口になると私は確信し、日々努力をしています。しかし、今回の提言は、そんな性善説に拠らない、もっとラディカルなアプローチの必要性を示唆しているのかも、と考え始めている今日この頃です。