新年からお恥ずかしい話を一つ。当法人の連携・協働団体である地域の財団法人が運営する民設民営の隣保館で、週2回、子ども食堂の取り組みが行われています。福祉医療機構(WAM)や認定NPO法人ふーどばんくOSAKAさんのご協力も得ながら、毎回30~40人くらいの子どもたちが参加していて、活動の様子がテレビなどでも紹介されました。むろん子ども食堂の存在は単なるお食事処ではなく、地域で孤立しがちな子どもたちの交流の場となり、カラダとココロの居場所になっています。
子ども食堂の背景にある子どもの貧困を考えるとき、その子どもを養育する家庭や保護者の貧困問題に着目しなければなりません。なので、問題の解決にあたっては、保護者の就労支援や、就学援助制度などの家庭の所得補償支援、もしその家庭がひとり親なら、医療費助成などのひとり親世帯支援等を組み合わせるなど総合的なアプローチが必要であって、それらのない単なる食堂では、あまりに対処療法的で、問題の核心に迫らない恩恵・慈恵的バラマキ、関係者のナルシシズムだと私は考えていました。ところが最近、この視点がズレていることに気づき、自分のセンスの悪さに赤面し、反省したのです。
子どもの貧困問題の解決には、確かに保護者の就労支援等も重要です。しかし、それ以前に、子どもは日々成長を続ける多感な存在なので、たとえ保護者が貧困であろうと、そのツケを子どもにまわさないよう社会全体で子どもを育てよう、地域の共助、公助の力で子どもの成長を応援する社会を創ろうという変革のメッセージが、子ども食堂の実践に込められているのだと気づかされたのです。そう、貧困の責任は子どもにはなく、子どもは保護者を選べないのです。この視点を見失い、保護者の就労支援等に過度に課題を設定すると、誤った保護者責任論や親バッシングに行き着いてしまいかねません。
さて、いま日本中に広がる子ども食堂の取り組みを、子どもデイサービスに読み替えると、私には懸案の「子育て保険」が浮かんできます。子育て支援ホームヘルパーや子どもグループホーム、子どもショートステイや育児手当‥。介護保険に次ぐ日本で最後の公的保険と言われる子育て保険ができれば、育児・子育ての社会化が進み、保護者の就業率も上昇すると思います。育児放棄をはじめ悲惨な児童虐待等が減ることも期待され、日本が直面する人口減少と少子高齢化問題にそれなりのインパクトを与えるでしょう。もちろん子育て保険への賛否はありますが、いまが議論を深める時かもしれません。
私は、隣保館の子ども食堂の取り組みに対して、何か応援できることはないかと考え、昨年末、老人ホームの屋上を使って「子ども農園」を始めてみないかと提案しました。都市版共生型福祉であり、単に食材確保だけでなく、自然学習や食育などにも役立ててほしいと願っています。そしていつかは、食堂の子どもたちと、老人ホーム入居者が一緒になった収穫祭ができればいいなぁと思っています。