あらゆる活動には目的と手段があり、これがズレたり逆転したりすると、何かと面倒です。例えば、介護分野では、食事や入浴のケアがサービスの目的となっている例、ビジネスでは、売上を上げるために経理を不正操作する例などがあります。個人レベルでは、美容のためなら死んでもいいと、過酷なダイエットをする例、世界的には、人権を守るという目的をもつ戦争や平和のためのテロなど、目的のためなら手段を選ばない深刻な例も存在します。広い意味では、核の平和利用もこの類でしょう。
先月末、安倍首相は、党総裁選の再選を受けて、唐突に「アベノミクスを第2ステージに移す」と言い「新3本の矢」を発表しました。「1億総活躍社会」をスローガンに掲げ、①GDP600兆円(強い経済)、②希望出生率1.8(子育て支援)、③介護離職ゼロ(社会保障)を実現させるというもので、私は、介護離職ゼロの矢に、たいへん大きな違和感を覚えました。説明によると「社会保障は、現役世代の安心も確保する必要があり、中でも仕事と介護の両立は大切なのに、現実には年間10万人が介護離職をしている。このまま進み、団塊ジュニアが大量離職する事態となれば、日本経済が成り立たなくなる」というのです。まぁ、間違ってはいませんし、わからなくもありません。が、しかしです。
安倍首相は、介護離職をゼロにする手段として、特養の整備を促進させるというのです。前近代的で時代錯誤、ツッコミどころ満載です。所管の厚労省は、在宅中心と言っているのに、施設の整備とは閣内不一致も甚だしい限りです。想像ですが、おそらく彼は、職員不足でフロアーが閉鎖されている特養がある現状など知る由もなく、ハコさえあれば、高齢者は子どもの世話にならないよう自ら施設に入って余生を送ってくれると呑気に考えているのでしょう。一方で彼は、元気な高齢者には、もっと活躍してもらえる生涯現役社会を創ると言っているので、うがった見方をすれば、GDP600兆円に挑戦する日本経済の発展のために、世話のかかる高齢者は、静かに、黙って特養に入りなさいと聞こえます。
介護離職ゼロ実現の本流は、WLBなど労働政策の充実と家族介護を前提に制度設計されている今の介護保険制度の抜本改革です。首相ともあろうお人が、こんなにも単純に目的と手段のズレを引き起こすはずはないと思うのですが…。いま日本には、認知症など社会的に支援の必要な人が2千万人いると言われています。安倍首相が掲げる1億人が「かつやく」する社会の実現は、この2千万人が「かがやく」政治なしには実現しません。ハコをつくってかがやくのはたぶん他の人達なので、この矢はきっと的外れになるでしょう。否、もしかすると、今回の新3本の矢は、旧3本の矢の失敗を覆い隠し、内閣支持率の低迷につながっている安保法制への悪評をそらし、今後、始まる落選運動への備えを含めた来夏の参議院選挙対策が真のねらい、だとすれば、目的と手段は、さほどズレていないのかもしれません。