ヤフー国語辞書で「医療」の意味を検索すると、「医術で病気を治すこと(略)」と出てくる。とてもシンプルで、ごくあたり前の説明。そう感じた人は、そろそろ発想の転換が必要かもしれません。
今年8月に発表された社会保障制度改革国民会議報告書は、今後の医療の役割を「治す」から「支える」へ重点化させると明言。「病院から地域(診療所)へ」「病気(臓器)から人間へ」「治療から看護・介護へ」「クオリティ・オブ・デスを高める」などのキーワードを並べています。そして、現在の医療政策を「1970年代モデル」と位置付け、これからは高齢化が最高期を迎える「2025年日本モデル」へ転換させるというのです。コペルニクス的転換ですが、たぶん本気だと思います。
年間38兆円を超える膨大な医療費。このうち55%が65歳以上の高齢者に使われています(75歳以上は33%)。日本を世界一の長寿国に押し上げた医療政策ですが、これからも続く未曾有の高齢化や、いわゆる団塊の世代が高齢化していく現実を前に、医療費抑制は至上命題。また、転換の背景には病態特性への着目もあるようです。つまり、高齢期は老化に病気が加わるので、治らないし、治せない。アンチエイジングが話題ですが、老いは誰にも止められないということのようです。一方、団塊の世代には「胃ろうはノー」「延命治療もノー」「最期は我が家」派が着実に増えています。巷の書店にも医者に騙されるな的な本が山積みです。報告書は、政策転換の好機と捉えたのかもしれません。
最近、『従病という生き方』という本を読みました。人は必ず死ぬ。だから、これからは「闘病」ではなく、病気と折り合い、うまくつきあう「従病」の時代にしていこうという。なるほど、そう思いながら、ふと、昔に読んだ『健康神話に挑む』という本を思い出しました。ここには、治らない病気や障害を治すという行為が過度になると、優生思想がはびこり、いずれは自らをも否定することにつながる。本人、家族、地域、社会全体が、まずは、そうした病気や障害とはうまくつきあっていくという発想が大切ということが書かれていたと思います。この考え方は、今も私の健康・障害観の基礎になっていますが、行うは難しです。病気とのつきあいは、きつい、つらい、不安。長丁場なので、お金もかかります。
そこで、当面のポイントは3つ。まずは地域の診療所事業を充実しつつ、医療費減免制度を設けること。2つ目は医療と福祉が協働し、住まいの場を含めた地域の看取り力を高めること。そして3つめは、同病者のコミュニティをつくり、当事者の居場所と出番を創ること。西成区は日本で一番、寿命が短い街ですが(上位地域との差:男性10歳短命、女性5歳短命)、これらを通して、次代の地域医療を西成から発信し、寿命の格差解消にも貢献したい。そして、西成版国語辞典で医療を調べたら、「最期まで生きるを地域で支えあうこと」と書かれている。そんな時代が訪れる未来予想図を描いています。