福祉でまちづくりを進める
社会福祉法人ヒューマンライツ福祉協会

最後の願い

人は必ず死を迎える その前にこれだけは叶えたいという思いや願いがあるはず

長生きしたい お金持ちになりたい 死にたくない 私をどうか忘れないでという思い

いろんな思いが様々な形で表れる事があります

 

憎まれ口だったり、拒否だったり、嘘だったり、目や口の動きだったり、そうかと思うと

急に甘えてみたり泣いたり、と本当にたくさんの表現をしてくださいます

それらをどう汲み取り思いとしてどう受け止めるか

日々の変化に戸惑いながらも楽しいと感じて関わっていますが、本心はどうだろうと疑問に

感じる事があります

でも最後まで寄り添いその思いにどう付き合っていくかが大切だと心から思いました

 

ある女性が先日他界されました

亡くなる2か月くらい前から「私は九州へ帰るよ」という事が増えたのですが、福岡しかわからない

実家が造り酒屋で大勢の人が働いている、観光バスをたくさん所有している お金があるから皆に

1億づつあげる 部屋にカメラが仕掛けてあって映像が九州に届いている 新聞社が私を見ている

外国生活が長かった

エスカレートする話は現実味がなく、どこまでが本当かわからないままでした

   

家族との縁が切れ、情報は名前も住所もわからない「北海道の姪」だけ

詳細は本人もわからないと言っていました 九州へ帰るすべが見つからないまま・・・・

 

やまゆり葬で送りました

遺骨をどうすればよいか・・お世話になっている松尚寺さまにお預けしても1年 あんしん

サポートも切れ費用は請求できない その後は無縁様になるのかと思っていました

遺品整理をしている時に偶然発見した数年前の年賀状 住所が北海道だった事だけで

逝去された事実と写真をはがき1枚にまとめ送付 返却されないようにこちらの住所は記載せずに

送ったのですが、数日後に連絡が入りました  本当の姪に届いていたのです

九州の親戚とは連絡は取り合ってい為、どうすれば良いかわからないがお礼を伝えたかったと

調べて下さったそうです 「九州へ帰りたい」それが望みだった事を伝えると、数件の連絡先を

探し出し再度連絡をくださいました

その中の1件がヒットし、甥から連絡が入りました

「どうしているかと思っていましたが電話ではこちらの話が通じないまま数年前に連絡が途絶えました

両親や一緒に暮らしていた男性も居る墓に入れてあげたいと思います 必ず迎えに行きます」

と約束をしてくださいました

これが最後の願いで それを叶えてあげる事が出来たと実感した瞬間でした

終の棲家としてやまゆりに来られた理由は様々ですが、私たちが最後の思いを叶えて

差し上げる役割を担っている事を忘れずにいたいと思います