福祉でまちづくりを進める
社会福祉法人ヒューマンライツ福祉協会

個人責任主導社会か連帯協働主導社会か


 愛知県に暮らす認知症の男性(91歳、要介護4)が外出中に電車にはねられて死亡し、その家族に対して、鉄道会社が振替え輸送費などの損害賠償を求める訴訟を起こしています。地裁判決を経て、先月4月に出された名古屋高裁判決は、一審判決を変更し、別居の長男(63歳)への請求を棄却。同居の配偶者(85歳、要介護1)に対して請求の約半額の賠償支払いを命じる一方、鉄道会社側には監視ミスを指摘しました。判決のポイントは、事故責任の所在について民法714条を適用し、同居の配偶者を監督義務者として認定、監督を怠ったので、「賠償責任を免れない」とした点です。

 判決には、多くの非難や不安の声が出されています。そもそも夫婦2人、老老介護状況にある本ケースに、未成年者等の監督義務を主に扱う714条を適用すべきではないとする意見は当然でしょう。今の介護保険制度は、家族の介護力を前提に制度設計されているのですが、今回のように事故の賠償責任が、同居している配偶者にあるとされるのなら、家族介護なぞ成り立つはずがありません。

 しかも、ご家族は普段から懸命に介護に取り組んでおられ、ちょっとしたスキの出来事だったそうですが、裁判所は「事故は予見できた」「徘徊を防止する措置をとらなかった」と現実離れした判断をしているのです。こんな裁定が続くなら、認知症高齢者の拘束や自宅軟禁が増加するばかりです。改めて、現下の介護実態の深刻さ、認知症支援の苦難、介護の社会化の本質を理解していない、前時代に逆戻りの司法判断だと思います。認知症高齢者の鉄道事故は各社が経験しています。しかし、企業側も悩んでいるのか、訴訟への対応はバラバラです。企業が損害の回復を追及するのは当然でしょう。しかし、現状では他に方法がないとしても、家族にそれを求めるのはやっぱりセンスが悪い、私はそう感じます。

 高裁判決は非情です。同時に、認知症高齢者をめぐって金銭的な賠償につながるような事案が増え続けている現実を考えると、この問題は高齢化が進む日本において、社会全体が向かうべき今後の方向性も問うているのだと思います。つまり、個人責任主導社会か連帯協働主導社会かの選択です。被害者の損害を公的に賠償する制度を創る(税金を使う)。あるいは、企業も事故等を想定した損害賠償保険等に加入しておく(保険料を鉄道料金に上乗せすれば実質的には社会全体の負担となる)。立法や司法も、今回のようなケースは監督義務や責任を原則的として求めないよう法制度を整備する。英知を結集し、そんな連帯型社会の方向感を持たなければ、これから訪れる団塊世代を中心とした超高齢・認知症1000万人時代(予備軍含む)に社会が向き合っていくことは到底不可能かもしれません。いずれにせよ、国が進める「地域包括ケア」の理念とは程遠い現実が大きく立ちはだかっていることを改めて確認しておく必要があります。ちなみに、企業側は高裁判決を不服とし、最高裁への上告を決めたそうです。